摂理ー神の管理、天主の予見と祝福
摂理は聖書に直接書かれた単語ではなく、歴代の神学者やキリスト教のリーダーに使われていた重要な神学の単語である。解釈は多少異なるけれど、彼らは「摂理」という言葉を神が自然、歴史、教会及び個人生活の管理或いは天主が世界の発展に対する直接的かつ具体的な予見と祝福と考えている。
19世紀以降、伝統的なキリスト世界(ヨーロッパ〕は顕著な「〜現象」があった。現代社会は全面的「世俗化」に向かっているようである。2000年、「ニューヨークタイム」では、これらのがらんととした教会の木製の長椅子と白髪の信徒を見るとますます人に伝統的な宗教崇拝が消えつつあると確信させてしまう。このように、摂理という言葉もだんだんとみんなに忘れられた神学辞典の単語の中の一つになった。
神の歴史はこの地で進行しています
だが、信仰は本当に消えているわけではなく、神様は引っ越しをしているという学者もいる。
キリスト福音宣教会の創設者と総会長の鄭明析牧師先生は1978年から、再び強烈的に「摂理」という言葉で、「生きている神」は「彼の素晴らしい御旨」を実現させるため未だに「現在進行形式」で明確にと世紀交代の際に働きかけている。
鄭明析先生は「摂理」を「神様の御旨」、「神の歴史」と定義づけ、「神の歴史はこの地で進行している、知らないと瞬間過ぎ去ってしまう」。「神の歴史は最後まで行かなければならない、神は終わりの時に御旨と目的を成す。」「終わりは豊かである。終わりは解決する。終わりは全てを終わらせなければならないので、全部の事を終わらす。」と強調した。鄭明析先生の自ら行う考えが、再び信徒たちのイエス様が言った「神は生きている人の神」という御言葉の実践の希望と期待を燃え上がらせた。
註解1: 引用自 Brent Staples,New York Times, November 26, 2000